記録番号:LIM-017
記録日時:2013年4月19日(午後3時頃)
調査担当:境界現象研究班 第二小隊

観測記録
水の中に、ホテルがあった。
少なくとも五層以上の吹き抜け構造だった。白い壁、アイアンの手すり、各階に並ぶ客室の窓。どこかのホテルのロビーと同じ形をしていた。ただ、全体が水に沈んでいた。
水は濁っていなかった。青緑色に透き通っていて、上の方から光が差し込んでいた。泡が左側の壁沿いに絶えず立ち上っていた。音はしなかった。泡が上がっているのに、音がなかった。
各階の客室には白いカーテンがかかっていた。水の中でカーテンが揺れていた。風がないのに、それぞれ違うリズムで動いていた。窓の内側に明かりが灯っている部屋もあった。電源がどこから来ているのかは確認できなかった。
最下層には植物があった。大きな葉の植栽が、水没した状態で生きていた。枯れていなかった。むしろ、水の中で葉を広げていた。
人はいなかった。でも、いた痕跡があった。カーテンの隙間から見えた部屋に、椅子が二脚、向かい合って置かれていた。テーブルの上に何かあった。確認しようとしたが、距離があって見えなかった。
分析
ホテルという構造は、人を一時的に受け入れる場所だ。チェックインして、眠って、チェックアウトする。誰もが通過する場所で、誰も長くは留まらない。
それが水に沈んでいる。
客室の明かりは点いていた。カーテンは揺れていた。誰かがまだいるような状態が、そのまま保たれていた。チェックアウトされなかった部屋みたいだった。
泡の発生源は確認できなかった。壁の内部から出ているように見えたが、亀裂や開口部は見当たらなかった。建物そのものが、何かを呼吸しているような印象だった。
長く観察していると、カーテンの動き方が気になってきた。風もないのに揺れていて、しかも各部屋でタイミングが違う。まるで、それぞれの部屋に別々の何かがいるような動き方だった。
結語
水の中でも、ホテルはホテルだった。
明かりが点いていて、カーテンが揺れていて、植物が生きていた。誰かを待っているような状態が続いていた。チェックインすれば受け入れてくれそうな、そういう雰囲気があった。
それが一番、怖かった。
調査員のひとりが「泊まれる気がした」と書き残している。冗談のつもりだったと思う。でも、その後しばらく誰も何も言わなかった。みんな、同じことを思っていたからだと思う。
チェックアウトできるかどうか、確認していない。調査は撤収した。あのカーテンは、今も揺れているはずだ。