多くの者が『向こう側』へ向かい、そして、多くが戻りませんでした。
いえ、正確に言うと、戻ってきたのが『元の彼ら』であったか、誰にも分からないのです。
生死を分けたのは、装備の質ではありません。出発前に、己の魂をこの世界に刻みつけられたか、ただそれだけ。
これから語るのは、ただの気休めではない。あなたのための生存戦略です。
精神を整えるための儀式
鏡との対話
出発直前、全身が映る鏡の前に立ち、自分の姿を5分間、瞬きせずに見つめる。
目的は、これから向かう非現実的な空間で「本来の自分の姿」を見失わないための自己認識の儀式。
「鏡の中の自分」に、必ず帰還することを約束する。逸脱しそうになった時、この約束が精神的な錨(いかり)となる。
無音に耳を澄ます
全ての電子機器の電源を切り、耳栓をして、完全な無音の部屋で10分間過ごす。
目的は、日常の音を完全に遮断し、精神をリセットする。これにより、調査地での微かな音や異常な静寂を敏感に察知できるようになる。これは、危険を回避するための感覚のチューニング作業でもある。
「お守り」への短い語りかけ
個人的な「お守り」(例えば、家族の写真、子供の頃の小さなおもちゃなど、現実世界との繋がりを感じさせる物)を手に取り、それに「行ってくる。必ず連れて帰ってくれ」と静かに語りかける。
目的は、調査中に正気を失いかけた時、このお守りの感触と言葉を思い出すことで、現実への帰属意識を保つ。
物理的な準備と最終確認
持ち物の「最終認証」
全ての装備品を白い布の上に並べ、一つ一つ指で触れながら「これは懐中電灯」「これは方位磁針」と声に出して確認する。
目的は、持ち物が空間の影響で別の物に「誤認」されることを防ぐための儀式。自分の所有物であることを、自分自身と「世界」に対して宣言する。
身体へのマーキング
消えにくいインクで、自分の腕に「帰る場所」を象徴する簡単な記号(例えば、家の間取り図や、特定の星座など)を描く。
目的は、万が一、記憶が混乱したり、自分が誰だか分からなくなったりした時に、それを見てアイデンティティを取り戻すための最終手段。
「嘘」の情報を一つ混ぜる
持ち歩くノートの最初のページに、一つだけ全くの嘘の個人情報(偽の名前や存在しない住所など)を書いておく。
目的は、空間に存在する「何か」が精神に干渉し、情報を抜き取ろうとした際の、一種のデコイ(おとり)。もしその「嘘の情報」に関する幻覚や幻聴が聞こえたら、何者かの干渉が始まっている証拠と判断できる。
最後に
これらは過去の調査員たちの経験則から生まれた、生き残るための知恵です。
調査に必要な装備を揃えること。
それは、これから深淵に挑むあなたにとって最低限の義務です。
しかし、それだけでは足りません。最も重要な装備は、あなた自身の精神だからです。
これからお伝えするのは、あなたの正気を守り、無事にこちら側へ帰還するための、出発前の精神統一儀式。
決して、手順を省略しないように。